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思い出をここに、残していくよ。
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タイトルが決して行き過ぎでない出来事です。

仕事の帰りに小学4年くらいの女の子二人が草むらに向かってバサバサと音をさせていました。何をやっているのだろうと思うほど、見えないように通りに背を向け草むらに隠れています。
通りがかった老夫婦も一旦車を止めて見ていました。車が去って私が近づいたところ、女の子二人はやっと生えてきたアジサイの葉っぱをちぎっては捨て、ちぎっては捨てていました。
私は睨んでやりました。そうすると急にやめるんですよ。それは自分がやっていることが悪いことだと分かっているからにほかなりません。そして、私が過ぎるともう笑いながら喋っているんです。
ああ・・・この子らは他人に叱られても何とも思わないんだな、と思いました。これからの毎日に関わるような、親や先生に見つからない限り、「ヤバイ」と思わないような種類の子に育ちつつあると。
「見つからなければいい」「叱られなければいい」「学校に言いつけられなければいい」「進路に関係なければいい」?

その後、今度は坂道の途中で高齢者マークをつけた車が停まっていました。普通、そんなところに停めるべきではないのがありありと分かる通りです。
高齢の女性が車の陰に隠れて菖蒲を摘み取っていました。きれいなところだけを選り分けて、いらないところをちぎって捨てて。
私は睨んでやりました。気付かないはずはないのに気付かないのでずっと睨んでやりました。それでも気付かない風を装って、その女性は車に戻りました。私の目の前を通って。
あまりのふてぶてしさと、今どきの問題行動をする人にありがちな「目を逸らし、顔を逸らし、シカトで通す」という陰鬱な周囲との隔絶の図り方が「病んでいる」と思いました。高齢者も若者と同じような問題を起こすケースが増えているその一端を見たような気がしました。
「知らんぷりか?」
余りにも周りの子供への悪影響があるので私はそれだけ言ってやりました。「花壇の花を盗っちゃいけないんじゃないですか?」なんて分かりきったこと、言うだけアホらしい。ちなみに「無視」「シカト」でなく「知らんぷり」とわざわざ言いました。
女性は無言でした。最後まで私を「空気のように見えない存在」として扱い通しました。

何故、悪いと分かっていることを、やり通すのでしょう?免れようとするのでしょう?鬱屈している・・・。永遠に逃げおおせるつもりでいるところが愚かで仕方がない・・・。

こんなのを黙っているのは、許しているのと同じです。助長しているのと同じです。隠れたところで正論を言っても、肝心の犯人には伝わらない。自分はしないでいようと思うだけではこの流れは止められない。
「干す」くらいの気持ちで断罪しなければ。行動を改めない限り、誰からも相手にしてもらえないような風潮をつくらねば。
これは子供の躾に使うやり方なのですが、脳の段階がそうなんだから、仕方がない・・・。

その子を好きだからこそ、悪い子になってほしくなくて厳しいことを言うのを今の世代は失くしてしまったみたいですね。「愛のムチ」を体罰だと言った辺りからオカシクなったんですよね・・・。愛情ある軽い平手と、軽い気持ちの悪口のひそひそ話とどちらが悪影響でしょうか。

「失ったものを、取り戻せ。」というのが私の結論です。生き直すにはちょうどいい。

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